「私好きなんですよ。『ナニー911』」
「アレはアメリカのばかが勝手に作ったんだ」
イギリスは苦虫を噛み潰したような顔で、出された羊羹に黒文字の楊枝を突き刺した。
「それはすいません。どうも乳母(ナニー)と言うと真っ先に思い浮かぶのはイギリスさんなんですよね」
「まぁ、うちには専門校もあるからな。あ、日本」
グリーンティーもう一杯貰えるか、とイギリスが頼むより前に、日本は急須を客用の湯飲みに傾けた。
「うちでも昔は、上流階級の皆さんには乳母(めのと)と言う立場の女性がいましたよ。時々、上司よりもよほど上司らしい女傑も出ましたが。そういう方を相手にするのはかなり骨が折れたものです」
「そりゃパワフルだな……」
日本の話と自国のナニー達を照らし合わせ、イギリスは嘆息した。日本語では同じ字を当てるらしいが、随分と異なる人種のように思える。イギリスが言うと日本は文化の違いでしょう、とだけ言った。
「そう言えば、私のかつての上司には乳母に恋い焦がれたひともいましたよ。うちでは、乳母が養い子にその道の手ほどきをする事は珍しくなかったんですが」
彼は忘れられなかったんです、と。
日本は自分の茶を啜ってから、少しだけ遠い目をした。
「ずっと常に側にいて有り余るほどの情を注いでくれる――あの頃の彼にとっては彼女が世界の全てだったんでしょう」
――……だよ。
――なきゃ……なんだ。
「――さん、イギリスさん?」
日本に心配げに声を掛けられ、イギリスは我に返った。
「え? 日本、何か言ったか?」
「いえ、特別な事は。ただイギリスさんが上の空のようでしたので」
招かれておいて酷い失態だ。イギリスは慌てて日本に謝罪した。
「お気になさらず。遠方から来られて疲れてらっしゃるんでしょう。すぐに床を用意しますね」
日本は再びイギリスの湯飲みにお茶をつぎ足すと、一礼してから部屋を出て行った。
「違う、あれは……無かったことだ」
イギリスは独り言を呟いた。だが、甘えるような強請るような声の残響は、耳から離れてくれなかった。
- 了 -
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