どうしようもない

11/08/18

『Bonjour, heroes』
 低めの甘い声がPDAから聞こえてくる。まるで恋人の耳元で睦言を囁くかのような発音の仕方だとアントニアは、思った。しかしその実はヒーロー達を危険な事件現場に誘う悪魔の宣告、或いは毒蜘蛛の罠だ。それが益体も無い空想であることはアントニア・ロペス自身解っているし、そもそもHERO TVのプロデューサーにして時に現場の指揮官にもなるアニエル・ジュベールからの出動要請に対してそんなことを想うのは自分だけだろうと思っている。
 PDAをタップすると投射光で疑似ディスプレイが形成された。そこに映るのは、緩くウェーブした髪を流し意思の強そうなつり目を不敵に輝かせる男だ。厚めの唇と顎の黒子、胸元を大きく開けたシャツが男に滴るような色気を付与している。
『シルバーステージで銀行強盗発生。犯人は車でゴールド方面に逃走中だ。逃走者の現在位置をPDAに送るから、10分以内に中継開始できるよう現場に向かうように』
 アニエルの言葉が終わると同時にPDAの投射映像は地図に切り替わる。惜別の念を振り払いつつアントニアは画面を確認した。点滅しながら移動している光が逃走車だろう。そこから伸びた線の先に表示された現時点の座標と車の進行方向を頭に叩き込む。
 程なくして現れたトランスポーターにすれ違いざまに乗り込むと、アントニアは先程の情報をクルーに伝えた。
 それから急いでヒーロースーツに着替える。襟刳りが異様なまでに大きく開いたアンダースーツを身に纏い、その上から装甲を装着する。最後に牛の角を模した通信機兼髪飾りとアイパッチを着けるとアントニアはヒーロー「ロックバイソン」になった。
 その格好でトランスポーターの控え室に入ると、天井から吊されたモニタは既にHERO TVの生中継を映していた。どうやらタイガー&バーナビーがいち早く犯人の追跡を開始したようだ。カメラが切り替わり、スカイハイが後に続いていることを知らせる。
「ロックバイソン、カタパルトへ。このままだと更に他のヒーローに先を越される」
 クルーの一人から無情な宣告を下されアントニアはぶるりと肩を大きく震わせた。彼女は高所恐怖症だ。だが機動力の低さを目立つ方法でカバーするためだと上司から言い含められれば従うしかアントニアに道は無い。ヒーローと言えどもただの会社員に過ぎないのだから。

 カタパルトに装填されたアントニアがいつ来るか判らない恐怖に脅えている頃、強盗犯の車はバディヒーローの執拗な追跡を振り切ろうとゴールドステージにある屋外型総合レジャー施設に突っ込んだ。先回りに成功したスカイハイが突風で車を転がす。逆さになった車から這い出た犯人をワイルドタイガーとバーナビーが一人ずつ逮捕したが、残る犯人達は手にした銃を乱射しながら施設のゲートを強行突破した。追い付いたブルーローズが銃弾に因ってダンスを躍った。

『ロックバイソン射出カウントダウン開始。5秒前、4、3、2、発射!』
 施設の敷地内にアントニアを直接飛ばすことで犯人との距離を詰める作戦をクルー達は取った。
 空中に放り投げられる、どうしても慣れない恐怖でアントニアは悲鳴を上げた。しかし現役ヒーローの中ではベテランの域にある彼女の身体はそのような精神状態でも着陸姿勢を取れる。犯人達の行く手に両脚で着地したアントニアは銃撃に備えて能力を発動し、肩のドリルを回してその内の一人に突進した。
 だが彼女の不幸は、ここがプールエリアかつ各プールを繋ぐ通路は幅が狭くなかなか複雑に入り組んでいることであった。
 犯人が間一髪のところでアントニアをかわすと、勢いづいた彼女はそのままプールの中に落ちていった。

 結局、今回の強盗犯はタイガー&バーナビーとスカイハイ、後から来たドラゴンキッドによって捕らえられた。最後の大捕物の舞台が営業期間が終了したばかりのプールエリアであったため、幸いにも市民から怪我人は出なかった。
 割を食ったのは自分だけか、とアントニアは未だ髪の毛からぽたぽた落ちる雫をぼんやりと眺めながら、思った。
 トランスポーターはカタパルト発射地点にあるため、彼女は駐車場の縁石に座り込みアスファルトを、見ている。もうカメラに映ることは無いので邪魔なドリル付き肩パーツと腕パーツは外していた。
 またやってしまった。どうしてこう自分は失敗が多いのだろう。プールからやっとのことで這い上がったときは惨めな気持ちでいっぱいだった。

『ロックバイソン』

 角型通信機から突然聞こえた声にアントニアの背筋が反射的に、伸びた。
「アニエルさん」
『今日はよくやってくれた』
 プロデューサーからの思いがけない労いの言葉にアントニアの胸は小娘のように震えた。しかし続く言葉に再び水を浴びせかけられたかのような気持ちになる。

『君がプールに落ちてから出てくる瞬間までの間が一番視聴率の伸びが良かった。いつも言っているが、ミスを犯した場合はああいう風にセクシーに見える工夫をするように』

「は……い……努力します……」
 通信はあっさりと切られ、アントニアはますますうなだれた。
 初対面の時から解っていたことじゃないか、とアントニアは自分に言い聞かせた。

 HERO TVの新しいプロデューサーとしてアニエルが初めてヒーロー達に引き合わされた際、彼はアントニアを頭の天辺から爪先までまじまじと観察した後、そのプロポーションは若い男性視聴者を釣る武器になるので今後も維持するように、と言った。
 ストレートなセクハラ発言に他のヒーロー達は憤慨したが、アニエルは全く動じることなく視聴率アップに使えるものは何でも使うと言い切った。
 呆気に取られたヒーロー達であったが、当のアントニアがこんなことは以前からあるのだから今更気になんてしない、と言ったため話はそこで無理矢理終わった。
 元々彼女のヒーロースーツは豊満なバストを強調するデザインだったし、デビューしたての頃はもっと露骨なセクハラを度々受けていたのは確かだ。クロノスフーズのCEOが(強面の割に)自社のヒーローを大事にする方だったのはアントニアにとって幸運だったと言って良い。
 他のヒーロー達も皆、ライバルである以前に平和を守る仲間だからと公的な場で何かあった場合はよく庇ってくれた。

――それでも、笑いながらアニエルの発言を流したように見えてこの時のアントニアはそれまでと比較にならないぐらい、傷ついていた。

 不意に、アントニアの肩に何か乾いて柔らかいものが掛けられた。

「大丈夫かいバイソン君」

 アントニアが振り向くと、いつの間にかスカイハイが彼女の背後に立っていた。
「濡れたままなのは良くない、そして身体に悪い」
「ああ……有り難うな、スカイハイ」
 アントニアはスカイハイが掛けてくれたバスタオルの端を握り締めながらぎこちない笑顔を、作った。
「礼には及ばないよ。私は一番近いワイルド君のトランスポーターから備品を借りてきただけだからね」
 確かにスカイハイは自身の能力を使って飛んで移動するので、事件現場に彼のトランスポーターが来ることは滅多に無い。だが、わざわざ余所から借りてまでアントニアを気遣ってくれるスカイハイの気持ちが嬉しかった。流石は長い間ヒーローランキングのトップに君臨し続けた青年だ。
「じゃあ、このタオルは後で虎徹に返しておくよ。お前も一旦ポセイドンに戻らなきゃならないんだろ?」
「バイソン君……」
 親切にしてくれたスカイハイには悪いが、アントニアには気持ちを切り替える為にもう少し独りの時間が必要だった。
 スカイハイが心配そうに幾度も振り返りながらも立ち去ったのを確認すると、アントニアはバスタオルの端と端を掻き合わせた。その状態で水分の残っていた胸の谷間を拭う。よくブルーローズやファイヤーエンブレムから羨ましいと言われる、豊かで張りのある膨らみは普通なら女の武器として使えるのだろう。

 だが、年甲斐もなく一目惚れした相手の男は視聴率の為の道具としてしか見ていない。

 解っていてもなお、惹かれる気持ちをどうしても止められない。
 アントニアが顔を伏せた箇所から、タオルはじわじわと湿っていく。

- 了 -


 「♂アニエスさんに健気に片思いする♀牛さんくれ」とのTwitterのフォロワーさんの呟きにうっかり萌えて書いたもの。「空→牛とか(中略)絡んでも美味しいです」とのことなのでアニ♂←牛♀←空になりました。

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