凶悪事件の起きない日でも、ヒーロー達の戦いに休みは無い。
「シュテルンビルトの平和を乱す悪党ども! 私達が来た「私『たち』だとぉ?」
からにはもう逃げられないぞ!」
胸を張って指さすスカイハイに、対峙する黒覆面の男達はじり、と後ずさりながらも怪訝そうな声を、上げる。
「もう一人はここでござるよ!」
すると突然、男の一人から青い閃光が発せられ、消えた後には折紙サイクロンが立っていた。
「うわああぁぁぁっ!?」
動揺した男達が蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
「スカァァイハイ!」
スカイハイが腕を振るうと、たちまち起きた風で黒覆面達が転倒する。そこを折紙サイクロンが意外なまでの身体能力の高さで素早く立ち回り、次々と男達を文字通り「お縄に」していった。
シュテルンビルト市内の屋外競技場で行われた本日のヒーローショーは、観客達の大歓声を以て締め括られた。
今回のゲストヒーローである二人はブルーローズのようにコンサートが開けるわけでは無いので、アンコールで一度舞台に上がって挨拶をした後は、そのまま控え室に戻った。
市民向けの競技場であるため出演者個別に控え室があるわけではなく、ここが公演に使われる際ヒーロー達は競技者用の更衣室を共同で使うことになっていた。
「折紙君お疲れ様。そして、お疲れ様。今日のショーは大成功だったね」
「はい!」
最近よくするようになった、溌剌とした声で返事をすると折紙サイクロンはフルフェイスマスクを取った。併せてスカイハイもマスクを取る。
「空調機能が付いているとは言え、やはりこの時期にフルフェイスは辛いね」
スカイハイはマスクをベンチに置き、私服を仕舞っているロッカーを開けようとした。
「キースさん」
突然、本名を呼ばれてスカイハイ――キースは背後を振り返った。同じくマスクを置いた折紙サイクロンが自分のすぐ後ろに立っている。否、ここは合わせて彼をイワンと呼ぶべきだろう。
「どうしたんだいイワン君」
イワンは何処か緊張した面持ちでキースを見ている。何か意を決したときの彼はよくこんな表情でキースを見上げ――見上げ?
キースは自分がイワンの紫の瞳を見上げていることに、気付いた。
キースが何か言う前に、イワンはいつの間にグローブを取った手でキースの顔の輪郭を、包んだ。僅かに顎を持ち上げられそっと、触れるだけのキスをされる。イワンの唇は小刻みに震えていた。
「――っ、ぷはぁっ」
唇が離れた途端にイワンが詰めていた息を一気に吐き出した。そしてキースを見て、一気に頬を紅潮させる。
「ああああのその、いきなりすいませんっ!」
「どうしてそんなに慌てているんだい? 私達は交際しているのだから、当たり前の事だろう?」
キースの衒いのない言葉はいつもイワンを狼狽させるらしく、彼は端から見ると挙動不審なほど身動ぎした。そのような、年下の恋人が我知らずする愛情表現がキースには好ましかった。――ただし、彼が自分の殻に閉じ籠もらない限りの範囲で。イワンはどうも自分の感情を素直に吐露するのが苦手なので、先程のキスはキースからすれば大変良い傾向なのだった。
「君が積極的なのは嬉しいが、キスはヒーロースーツを脱いでからでも良かったんじゃないかと私は――」
「だ、だって、ヒーロースーツを着てる時じゃないと僕、キースさんの背を追い抜けないじゃないですか……」
僕だって男だから、と消え入りそうな声で呟かれたイワンの言葉にキースは目を、瞠った。
確かに、生身ではキースの方がイワンより背が高いのであるが、ヒーロー時の折紙サイクロンは漆塗りの高下駄のぶん全長が伸び、ブーツのヒールがそう高くないスカイハイを僅かながら追い越すのだ。
ヒーローが事件現場でマスクを脱ぐことはまず無いので、イワンがキースを上向かせることが出来るシチュエーションは、確かに今この時ぐらいしか無いだろう。
「……今、僕に出来ることは毎日牛乳を飲む事ぐらいですけど、何だか我慢出来なくて――すいません!」
身体を直角に折って謝罪するイワンに対し、キースは膝を折って彼の肩に手を、掛けた。
「誤る必要など無いよ。さっきも言ったが、私は君が積極的なのはとても嬉しいんだ、とても」
私だって一応恋する男だからね、とキースは上目遣いで笑う。
「ちょっとスカイハイさん! そんな、地面に膝なんか突かないでください!」
慌てたイワンがキースの身体に手を掛け、立ち上がらせる。再び二人の視線が絶妙な位置関係で、ぶつかった。
「イワン君。私はいつか君に、人生で大事な事は自ら気付く事なんだと教えたね。では、さっき私の言葉から何か気付く事は無いかい?」
「キースさん……!」
イワンは表情を引き締めると、今度はキースの後頭部を抱え、その唇を覆うように口付ける。
侵入してきたあたたかい舌が、必死の様相を呈してキースを、貪る。キースはイワンの背に腕を廻そうとして――止めた。
「ど、どうしたんですかキースさん!?」
キースの仕草に気付いたイワンがキスを中断した。可哀相なことに、目に見えて顔色が青ざめている。
「あー、イワン君……やはり今は止めておこうじゃないか」
そう言ってキースが指したのは、折紙サイクロンのスーツの背面に付いた大きな手裏剣。
「これでは思うように抱き締められない。そして、抱き合えない」
最早イワンは泣き出す寸前である。これ以上は流石にこちらからのフォローが必要だろう。取り敢えずのところ、今夜のパトロールは早めに切り上げる必要があるなとキースは、思った。
- 了 -
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